ゆっくり、じっくり読む。読み終わるのが惜しい。作者の「富士日記」読了前の「もう楽しみが無くなってしまうのか…」を思い出す。日常生活に対する純粋無垢の感覚、それを表現する鋭い言語感覚は他と比べようが無い。「上手」と思わせるようなら未だ未だと教えてくれる文章。
最初、池波正太郎さんの食べ物のエッセーみたいなのかと思ったら違った。「食卓」が題名にあるが料理というより食物が印象に残る。子供はこんなふうに食を感じ、それを武田さんはこんな言葉で表している。感嘆する。夢の世界に連れて行ってもらう感じ。幸せな夢見ている時はたいていこんな感じだ。内田百けん然りだが、エッセーの醍醐味はここらにあるのだと思わせる。
『お弁当』まで読んで、これから『雛祭りの頃』。だんだん残り少なくなってきた。「富士日記」はちゃちな分別を蹴飛ばす日記だが、このエッセーはそれを濃縮する味わいがある。一つのことを時間をかけて武田さんが煮詰めるとこんな絶妙な味わいがうまれるのだ。その分、読み終わるのが前よりも惜しくて堪らない。「この夢、覚めませんように」と思って夢を楽しむことがある。読書途中の今、そんな感じ。
最初、池波正太郎さんの食べ物のエッセーみたいなのかと思ったら違った。「食卓」が題名にあるが料理というより食物が印象に残る。子供はこんなふうに食を感じ、それを武田さんはこんな言葉で表している。感嘆する。夢の世界に連れて行ってもらう感じ。幸せな夢見ている時はたいていこんな感じだ。内田百けん然りだが、エッセーの醍醐味はここらにあるのだと思わせる。
『お弁当』まで読んで、これから『雛祭りの頃』。だんだん残り少なくなってきた。「富士日記」はちゃちな分別を蹴飛ばす日記だが、このエッセーはそれを濃縮する味わいがある。一つのことを時間をかけて武田さんが煮詰めるとこんな絶妙な味わいがうまれるのだ。その分、読み終わるのが前よりも惜しくて堪らない。「この夢、覚めませんように」と思って夢を楽しむことがある。読書途中の今、そんな感じ。