夢野久作の『近世怪人伝』のフィクションを読んでいるかのようなストーリー展開に引き込まれる内容だった。
旅芸人であった犬神博士こと大神二瓶の半生記が綴られているが、奇想天外なストーリーと犬神博士の幼名であるチイの本音を衝いた言葉に周囲の大人が翻弄されているところがおもしろい。
この作品の時代背景は日清、日露の戦役前だが、そこに描かれている内容は現代に置き換えても何等、変わりがない。変わりがない、ということは人間というか日本人が文明開化だ民主化、国際化だのと現代に至るまで目まぐるしく変化したかにみえて、なんら本質的には変わっていないという証拠をこの作品は炙り出している。
非人という人権的には差別用語に類する言葉が作中に登場するが、それは言葉が変わっているだけで本質は変わらず、定住先を持たずにその日暮らしにネットカフェを転々とする「難民」が社会問題となっていることからもわかる。
県知事閣下が権力の権化として登場するが、それは現代における地方自治体における県知事の贈収賄による逮捕が跡を絶たない現実に重なる。
国家観をもたず、財閥の手先となって、その権力で炭鉱鉱区の争奪戦を繰りひろげる県知事閣下の姿は、国民をないがしろにして突き進む政治の世界に似てはいないだろうか。
フィクションとしてストーリーを楽しむのも一興。夢野久作の社会風刺として社会を鳥瞰図として眺めるのも一興の作品と思える。
旅芸人であった犬神博士こと大神二瓶の半生記が綴られているが、奇想天外なストーリーと犬神博士の幼名であるチイの本音を衝いた言葉に周囲の大人が翻弄されているところがおもしろい。
この作品の時代背景は日清、日露の戦役前だが、そこに描かれている内容は現代に置き換えても何等、変わりがない。変わりがない、ということは人間というか日本人が文明開化だ民主化、国際化だのと現代に至るまで目まぐるしく変化したかにみえて、なんら本質的には変わっていないという証拠をこの作品は炙り出している。
非人という人権的には差別用語に類する言葉が作中に登場するが、それは言葉が変わっているだけで本質は変わらず、定住先を持たずにその日暮らしにネットカフェを転々とする「難民」が社会問題となっていることからもわかる。
県知事閣下が権力の権化として登場するが、それは現代における地方自治体における県知事の贈収賄による逮捕が跡を絶たない現実に重なる。
国家観をもたず、財閥の手先となって、その権力で炭鉱鉱区の争奪戦を繰りひろげる県知事閣下の姿は、国民をないがしろにして突き進む政治の世界に似てはいないだろうか。
フィクションとしてストーリーを楽しむのも一興。夢野久作の社会風刺として社会を鳥瞰図として眺めるのも一興の作品と思える。