【特集 ちくま文庫30周年記念】 手から離れた、ブックデザイン/安野光雅
そのころ、各社で文庫本が企画され、ちくま文庫も仲間入りをしました。先達は何と言っても岩波文庫です。
その岩波文庫もカバーをつけ、背文字も従来の物より大きくし、新装にされたのですが、ファンからみるとその新装でさえ気に入らなくて、昔のままの(カバーをとったらほとんど昔のまま)姿でいてほしいとおもったそうです。わたしもそうおもいました。
ちくま文庫の装丁のときは、表1の部分は、まわりを何ミリだったか白く残すという決まりを提唱し、それを当時編集部にいた松田哲夫さんが金科玉条にして、文庫が出発しました。文学のジャンルに入るものと、学術とか、ドキュメントなどのジャンルに入るものとでわけ、わずかに地色の区別をつけました。書店の本棚に並んだとき、ちくま文庫という、存在を記すことができるようにするため、「赤いほそい帯のしるしをつけてくれないか」というのは営業部の意見でした。そのほか文字の大きさ、位置なども精密に決めました。
この決まりは、粛然として、やがてわたしの手から離れ、文庫全体の主張になりました。
その後一人だけ、この金科玉条に頑強に抵抗した執筆者がありました。「自分の意見が通らないなら文庫にすることはできない」というわけです。ただし、わたしはその人を知りません。
「この決まりは、粛然として、わたしの手から離れ、文庫全体の主張」と書いたのはこういうときのためです。
この文庫のデザインは、わたしの手の届かない所にいったのです。そして文庫が新たに出されるたびに、その主張が重なって、ちくま文庫のデザインが次第に地歩を固めていくだろうとおもっていたのです。つまり、「こういう著者の見解」をどうすればいいかといわれても、だれか知らぬ人が決めた規則を、わたしの力ではどうすることもできないようなもので、もしその方の意見を尊重したら、ちくま文庫のデザインとしての見解は、根底から作り直し、それまでのものと違うものになるでしょう。
だから、初期設定(初期デザイン)は意外に大切なのです。
その他、全集や、叢書などの場合も同じです。まれに全集などが書店に並んだとき、背文字が揃っていない例があります。些細なことのようだけど、これは表紙だけでも印刷しなおさないと、金銭にはかえられない悔いを残します。それは、その一冊だけの問題ではなく、叢書全体の問題だからです。
ある出版社の出す本は、単行本のように、それぞれ主張があっていいものでも、何となく共通の主張を抱いているように見えます。本をみただけで、これはあの出版社の仕事だなとおもって見ます。
雑誌でも花森安冶が基本設計をし、その伝統を維持し続けた「暮しの手帖」は統一見解があって、見事でしたが、花森安冶が亡くなってからその遺志を受け継いだ大橋鎮子が、花森安冶のデザインを踏襲しようと努力しました。
その大橋さんが亡くなって、花森さんの再来のような松浦弥太郎を編集長に迎え、今に至っています、これも雑誌の経営の困難な時代に耐えて行けるデザインポリシーとなりました。
その意味では、谷内六郎時代の「週刊新潮」と、今の「週刊文春」も同じです。だからアメリカでは執筆者の健康管理もするそうです。
むかし、「雪子と夏代」という映画がありました。夏代はモダンガールで、姉の雪子はクラシックな伝統の中に生きる姉妹です。その映画の中で姉の雪子は新しがりやの夏代にむかって、「新しいということは、昨日に変わることではなく、何時までも古びないことよ」と言うのです。
あまりに古い映画(約七十年前、ネットで知ることができる)だから筋書きは忘れましたが、この言葉は今でも覚えています。
(あんの・みつまさ 画家)