万葉樵話――万葉こぼれ話

第八回 『万葉集』の和歌にはなぜ敬語があるのか(一)

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宮廷歌集と敬語

 そこで、以下、私なりの見解を述べていくことにしたい。『万葉集』の和歌には、たしかに敬語が多用される。その理由は、本連載の二、三回目で述べたように、『万葉集』は宮廷歌集であったというところに帰着する。古代の宮廷には、宮廷歌謡が保存されていたが、『万葉集』の和歌は、そうした歌謡の伝統を受け継ぎながら、いわば宮廷の文芸として成立した。『万葉集』の和歌の場は、宮廷社会そのものであったと見てよい。それゆえ、 『万葉集』の歌は、まずは「おおやけ」の歌、すなわちはれの歌であったと捉えることができる。宮廷社会は、天皇を頂点とする身分制社会であり、その秩序は末端にまで及んでいた。『万葉集』の和歌が敬語を含む理由は、まずはそこにあったと見なければならない。

 敬語には、神仏などの超越的な存在に向けた絶対的な敬語もあるが、その多くは社会的な秩序を基本とする相対的な待遇表現としてあった。『万葉集』は、明確な編纂意図を欠く未整理なままの歌集であり、巻ごとの違いも著しいが、その本質は何よりも宮廷歌集たるところにあった。

 『万葉集』の原型的な巻では、和歌は、ぞうそうもんばんのいわゆるさんだいたてによって分類されている。それがすべての巻に及んでいるわけではないが、『万葉集』の分類の基本はここにある。

 雑歌は文字どおりくさぐさの歌を意味するが、その本質は宮廷儀礼の場を背景とする公的な歌であるところにある。宮廷儀礼歌、行幸や公宴などの場で詠まれたさまざまな歌が雑歌になる。まさしく「公」の歌であり、晴の歌になる。そこに敬語が用いられるのは当然といえるだろう。

 挽歌は死者にかかわる歌をいう。挽歌の成立は比較的新しいが、こうじよひんきゆう挽歌(葬送までの間、死者の霊を慰撫・鎮魂する儀礼がひん(もがり)。皇子女のためには慰霊のための新たな建物が作られた。それを殯宮と呼ぶ。そこで唱詠されたのが殯宮挽歌になる)など、公的な儀式歌と重なるものも少なくない。ならば、これも「公」の歌、晴の歌になるから、やはり敬語が使用されても不思議ではない。それ以上に、死者はこの世の秩序に属する存在ではないから、死者に向けられた挽歌に敬語が使用されるのはむしろ自然なことといえる。一例として、聖徳太子が、路傍に行き倒れた死者に向けて詠んだと伝えられる歌を挙げておく。

いへにあらばいもが手まかむ草枕旅にやせるこの旅人たびとあはれ
(巻三・四一五)
〈口語訳〉
家にいるのなら妻の手を枕とするだろうに、草を枕の旅路に倒れしておられるこのたびびとよ、ああいたわしい。

 この「やす」は、口語訳に示したように敬語表現である。「す」は、尊敬の助動詞。死者への敬意はあきらかであろう。

 問題は、そうもんである。相聞とはもともと中国に由来する言葉で、親子・兄弟・友人などの間で、互いの様子を尋ね合うことを意味した。『万葉集』の相聞歌にもそうした例が見られないわけではないが、その大半は恋人同士の間で交わされる恋歌になる。

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