第八回 『万葉集』の和歌にはなぜ敬語があるのか(一)
詞書の敬語そこで、『古今集』の内実を、敬語使用の問題に絞って見ていくと、和歌に敬語を用いた例は、哀傷歌などにごく僅かに見られるものの、ほとんど無に等しい。すでに、特別な場合以外、和歌には敬語を用いないことが慣例化されていたことがわかる。 一方、詞書には敬語の使用が見られる。それもまた、和歌を宮廷儀礼の晴の場に復権させようとする撰者たちの意識の現れと見ることができる。「私」の歌、褻の歌を、「公」の歌、晴の歌たらしめようとする意識である。 もっとも、『古今集』の詞書の敬語は、『後撰和歌集』以降の勅撰集に比べるとさほど多くはない。『古今集』詞書の敬語は、帝・皇后・皇太子にほぼ限定され、皇子以下大臣等の臣下には付されることがないという(玉上琢彌「敬語と身分」『国語国文』昭和14年5月号)。敬語の対象範囲は、『後撰集』以降、徐々に拡大する。さらに注意したいのは、『後撰集』以降、詞書に丁寧語「侍り」が著しく増大することである。 松のもとに、これかれ侍りて、花を見やりて のような例が、これにあたる。 「侍り」は『古今集』にも見られるが、その数はまだ少ない。この「侍り」について、本居宣長(一七三〇〜一八〇一)は、「撰集は、おほやけに奉る物なれば、撰者の、みかどに対ひ奉りて申す心ばへを以て、此詞をば多くおける也。」と説いている(本居宣長『玉あられ』)。撰集を献上するに際して、撰者の天皇に対する畏敬の念の現れとして、この「侍り」があったというのである。見方を変えれば、「私」の歌、褻の歌を、勅撰集の「公」の場に取り収める際に、必然的に持ち込まれたのが、「侍り」であったことになる。「侍り」も敬語の一種に違いないから、和歌が敬語を用いないことと、やはり裏腹の関係の中で捉えることができる。
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