「舞姫」の起源も1956年
森鴎外の場合も、夏目漱石や芥川龍之介の場合と驚くほどよく似た現象が指摘できます。
戦前に最もたくさん採録されたのは、「山椒太夫」で延べ95回、ついで「高瀬舟」85回、「乃木将軍(詩)」59回、「曾我兄弟(戯曲)」56回、「安井夫人」43回、「即興詩人(翻訳)」29回などとなっています。現在の高等学校国語教科書において定番教材としての地位を確立している「舞姫」の採録はまったく見当たりません。
ところが、敗戦後の「舞姫」の採録数は、延べ128回にも及びます。2位の「高瀬舟」が34回ですから、「羅生門」の場合と同様に、圧倒的な採録数だと言っていいでしょう。「舞姫」は、現代の高校生にとっては必ずしも読みやすいと言えない文語体で書かれていますから、敗戦後よりもむしろ戦前の教科書にこそふさわしいのではないかと思えるのですが、実情はまったく予想に反したものなのです。
最初の採録は、「舞姫」の場合も「羅生門」と同じ1956(昭和31)年のことです。清水書院の『現代文新抄 全』と教育図書の『標準高等国語総合編 2』が「舞姫」を教材化しました。ちょうど50年前のことですから、「こころ」を最初に採録した清水書院『高等国語 二』が発行されたのと同じ年の出来事ということになります。
「舞姫」の物語内容は戦前の価値観からするとおよそ「教育的」ではないですから、使われなかったこと自体はまったく不思議ではありません。しかし、敗戦後になるとどうして他の鴎外作品を押しのけ、採録数において突出した教材であり続けているのだろうかと考えると、“不思議”としか言いようがありません。
「山椒大夫」は、厨子王が母と再会する場面で結ばれています。父と安寿は亡くなってしまったとは言え、離散してしまった“家族の再生”が物語の基本線です。一方「舞姫」は、妊娠したエリスが発狂し、構築されかけた“家族”が修復不能な形に解体してしまう物語だと考えることができます。これもまた、敗戦後の価値観の転換を反映したものだというのが、いちおうの説明になりそうです。
しかし、外国人の少女を妊娠させた上に、裏切り、発狂させて捨て去るという物語を、どうして国語の教科書に採録して教室で読み続けなくてはならなかったのでしょうか。
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