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第2回 “生き残りの罪障感”―定番教材の法則 |
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ベストセラー小説の構造に通底
死者が排除され、生き残った者が罪障感を抱えながら愛の可能性を模索するという構図は、村上春樹の「ノルウェイの森」(1987年)や片山恭一の「世界の中心で、愛を叫ぶ」(2001年)にも見られるものです。
いずれの小説においても、死者ないしは死者に相当する人物を踏み台にすることで、生者のイノセント(無垢性)が損なわれています。そのことで生者は、ある種の罪障感ないしは汚れを抱え込むことになります。そして物語の基本線は、罪障感を抱え込んでいる生者に対して、何らかの許しや癒しを与える方向に進んでいきます。
さらに、『村上春樹と《最初の夫の死ぬ物語》』(翰林書房・2001年)を書いた平野芳信さんが指摘しているように、「ノルウェイの森」や「こころ」などの小説と漫画との類縁性まで視野に入れると、“生き残り”として新たな生を模索する人物を肯定するという話は、敗戦後の日本人が欲望する物語の基本パターンなのだと言っていいのかも知れません。平野さんが取り上げている人気漫画は、あだち充の「タッチ」(1981~86年)や高橋留美子の「めぞん一刻」(1980~87年)などです。いずれの漫画も、「こころ」のKないしは「ノルウェイの森」のキズキに相当する人物の死を前提に、生き残った男女が新たな生を模索する物語です。
死者と生者をめぐる似たようなモチーフを抱えこんだ物語が、定番教材やベストセラーとして消費されてきた理由を分析するには、“敗戦後”という時空を生きてきた日本人の精神のありようを考えるべきなのだろうと思います。
つまりこれらの物語の起源は、戦争の死者たちを踏み台にして新しい時代を歩み始めた日本人の、“生き残り”の罪障感という問題につながっているはずなのです。
別の言い方をすれば、戦争という大きな災禍を生き延びた者が抱えこんでしまった“サバイバーズ・ギルト”(生存者の罪悪感)という問題です。
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