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第4回 “ぼんやりとしたうしろめたさ”―定番教材の生き残り |
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罪障感を解除する物語
しかも、「ごんぎつね」という物語は、自然を圧殺し、征服してしまう兵十の行為を告発する身振りを示しながら、同時にごんぎつね殺しを「仕方がなかったこと」として許容してしまうような二面性を持っています。夏目漱石の「こころ」が、Kに対する背信行為を行った「先生」を許しがたいことだと感じつつ、どこかで「仕方がなかったこと」として許容することもできるような構成になっていることとよく似ています。
定番と言えるかどうかはわかりませんが、飼い犬との死別を描いた「ずーっと ずっと だいすきだよ」(ハンス・ウィルヘルム/久山太市訳)とか、自分が育てた馬を死なせてしまった悲しみを描いた「スーホの白い馬」(モンゴル民話/大塚勇三再話)などの小学生用の教材に共通するのは、死別を受容し、肯定的にとらえることを読者に求めてくるところです。「スーホの白い馬」の場合など、王様の娘と結婚しようとするスーホの“欲望”が馬の死の遠因となるのですが、夢の中に出て来た馬はそんなスーホを許してくれるのです。人間は不可避的に動物(=自然)を死なせてしまうのですが、それを「仕方がなかったこと」として許容し、罪障感を解除するところにこれらの教材の特質があります。
ここで詳しく分析することはできませんが、「スイミー」や「おおきなかぶ」や「やまなし」など、他にも定番と言えそうな教材はいくつかあって、それらの中にも“生き残りの罪障感”あるいは“ぼんやりとしたうしろめたさ”の問題を見出すことができます。
また、中学でとりあげられることの多い木下順二の「夕鶴」や江國香織の「デューク」などにも、同じような問題を指摘することができます。
動物ものの教材の多くは、罪障感やうしろめたさのような感情を解除する「ソフトなイデオロギー装置」としての側面を持っているのです。
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