メキシコの南部、グァテマラとの国境近くのラカンハ河上流の森林地帯に、
ラカンドンというマヤの一支族が住んでいる。
気流の鳴る音
─ 交響するコミューン
真木悠介著
- ちくま学芸文庫
- ISBN:
- 978-4-480-08749-2
- 初版発行日:
- 2003年3月刊
タイトルや著者名、表紙、あらすじといった情報一切なしで、筑摩書房の本の書き出し=「まくら」だけ を紹介していく、
筑摩書房X(旧 Twitter) (@chikumashobo)のポスト企画です。
本の入口である「まくら」を、朝読書のような感覚で毎日浴びるように乱読する中から、
読みたい本やお気に入りの本との新しい出会いをつくれたらと、
2020年8月24日からスタートしました。
忙しい日々の中、また外出がしづらい時でも、書店でなんとなく手に取った本の最初のページを読むように、
友だちの家に遊びに行ってふと見つけるように、
本と偶然出会う体験をSNSでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
#ちくまくら365「本」ノックで紹介した本の書誌情報を紹介する #ちくまくら打ち返しも始めました。
気になっていた本があったら、ぜひまくらも読んでみてください。
メキシコの南部、グァテマラとの国境近くのラカンハ河上流の森林地帯に、
ラカンドンというマヤの一支族が住んでいる。
本書はこれまでさまざまな機会に私が物語について語った話を、文章にしたものです。
女子大で講義をするようになって二十年近くになるが、
教室で「寅さんの『男はつらいよ』を観たことがある人」と尋ね、
「はい」と手を上げる学生がこの数年ほとんどいなくなった。
目次を見てもわかるように、
この本は、一見わけのわからない標題をもった十七のお話からできています。
盛子さまのおひなまつり
スコップと丸めたビニル袋を手に持って、あみ子は勝手口の戸を開けた。
こんな調査があります。日本、アメリカ、中国、韓国の高校生に、
「若いうちにぜひやっておきたいことは何ですか」という質問をしたところ、
日本の高校生は、「一生つきあえる友人を得たい」とか
「いろいろな人と付き合って人間関係を豊かにしておきたい」と答える人が
かなり高い割合になったそうです(日本青少年研究所『高校生の意欲に関する調査』)。
本書は、私が勤務するパリ第八大学で
修士課程の学生を対象に行った講義を基に構成しました。
性の多様性について大学で研究していると、私の講義の受講生のリアクションペーパーや、
学会発表や講演の後の聴衆の質疑などから、性の多様性、
特にセクシュアルマイノリティ(性的少数者。この言葉については第一章で説明します)に
関するさまざまな反応を知ることができます。
「この世はわれに飽き
われはこの世に飽く」
月夜野で死んだ。
みなさんは、人に尊敬されたい、人の上に立ちたい、人を率いたい、人を操りたい、
そんなことを思ったことがありませんか?
はじめに謝辞を…
この本で私が示したいのは、次のことだ。
大学の寄付講座では、講師の依頼を受けてからの準備期間が数カ月しかない。
ラジオなんて言葉、どこか古くさくなりましたね。
「法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。
人は、言葉によって成長します。
『貞観政要』は、名君の誉れ高い唐の太宗(李世民・在位六二六~六四九年)とそれを補佐した
名臣たちとの政治問答集である。
ノルウェーの高い山々のあいだに、
ベアレヴォー・フィヨルドと呼ばれる細長く伸びたフィヨルドがある。
白と赤と黄の紙がある.赤い色めがねをかけてみると,白と赤の区別はなくなる.
黄色のめがねをかけてみると,白と黄の区別はつかない.
地学は高校で教えられる理科の4科目のうちの一つです。
「強さ」とは何か?これが本書の大きなテーマである。
サリマの仕事は夜が明けきらないうちから始まり、昼近くに帰宅した。
ギリシャで生まれ、イギリスで育ち、アメリカを経由して、明治二三年(一八九〇)四月に来日
したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、島根県の中学校や、熊本県の高校で英語教師として
勤めたあと、兵庫県神戸市で英字新聞『神戸クロニクル』の記者をしていたことがある。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
アングルは静止を秩序づけたといわれる。
わたしはパトスを越えて
運動を秩序づけたいと思う。
つぎのふたつのなぞなぞ(どちらも、とても有名ななぞなぞです)は、
人間の考えや行動の秘密を教えてくれます。
そのことの善し悪しは別として、今日のヨーロッパ社会において最も重要な一つの事実がある。
この本は、私が二〇〇一年から二〇〇二年にかけて川村学園女子大学の
人間文化学部生活環境学科で教えたジェンダー学の講義をもとにしたものである。
この本は、自分の頭で考えようとする若い人々のために、
その思考を豊かで確かな場所に導くことを願って編んだものである。
一九七〇年代半ばのことだと思うが、『プラトン全集』が岩波書店から刊行されるにあたって
作られたパンフレットに、何人かのひとが推薦の言葉を寄せていた。
ある時、「女子校出身者は生きづらそう」と知人に指摘されて、ハッとしたことがあります。
よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。
みなさんは、私たちの祖先である縄文人や縄文文化に、
どのようなイメージをもっているでしょうか。
日本人と英語:好むと好まざるにかかわらず,
英語は自由世界を結ぶ重要なコミュニケーションの媒体である.
1. おもしろそうなところだけ, ひろい読みしてください.
日本人は「ものづくり」という言葉を好みます。この言葉から多くの人が想像するのは
職人や技術者、町工場や工業地帯といった製造業に関する事柄ではないでしょうか。
〈鬼とは何か〉という命題は、さかのぼるにしたがいたいへんむずかしく、
民俗学的な把握にも未開の部分を残している。
001
ぐるり。(25万円)
わたしの外国語遍歴なるものが話題になると、きまって三つの質問、
それもいつも全く同じ質問をされます。
「哲学は究極の思考法である」
こんな、ちょっと挑戦的な出だしからはじめてみたい。
文章の書き方について、の新書です。
本書は、一八五七(安政四)年から一九三七(昭和一二)年までの八〇年間の歴史を、
六つの段階に区分して通観しようとするものである。
この本をあなたがいま開いているということは、きっとあなたが心のどこかで、
「やせたい気持ちとうまく付き合えていないこと」に気づいているからだと思います。
ピアノという楽器には悲しい思い出がある。
診察室で子どもたちの話を聞いていると、
時々、「えっ?」と一瞬、耳を疑いたくなるような言葉が飛び出してくる。
売上が伸びない、売上が安定しない、最近売上が落ちてきた……。
もしあなたがそんな問題に悩まされているのなら、「ファンベース」の導入・強化を
考えたほうがいいかもしれない。
幼いころ、私には何でも話せる無二の親友がいた。それも三人。
名前は、大きいほうから順に、大ニグ、中ニグ、小ニグといった。
「画題をお知りになりたくはありませんか」
中学生の頃、もの書きになりたかった私は、手にとった
澁澤龍彦や春山行夫の本の面白さにうたれ、彼らのようになんらかの専門領域に立った
文筆家にあこがれを抱くようになりました。
人間は「過去・現在・未来」に同時に存在することはできない。
泣くのにちょうどいい場所を探している。
呼び鈴がけたたましく鳴らされ、私はコカ・コーラの瓶とコンビーフ・ハッシュの大皿を
右A卓に、潰したじゃがいもの大皿を左D卓に置いて、音のした方へ向かった。
水平社創立六十年を迎えて、
私はあらためて「人間差別」の深さ、厚さ、悲しさに考え込まざるをえない。
『哲学入門』って本を書いてて忙しいんだよ、と言ったら、
妻は「あんたいつの間にそんな偉そうな本を書く身分になったのよ」と答えた。
アメリカ合衆国憲法は一七八七年にフィラデルフィアで起草され、
翌八八年六月に批准が完了して発効した。
少し考えてみれば分かることですが、民主主義というのは実に不思議な仕組みです。
ある夏の日の午後、エディパ・マース夫人はタッパーウェア製品宣伝のための
ホーム・パーティから帰って来たが、そのパーティのホステスが
いささかフォンデュ料理にキルシュ酒を入れすぎたのではなかったかと思われた。
ちょっと昔、日本のあるところに、一人のおばあさんがいました。
おばあさんは八十七歳のときに、二七八万四九八八票もの大量票を獲得し、
無所属で出馬した参議院議員選挙・全国区で第一位当選を果たしました。
みなさんは日本の教育について、どれぐらい知っているでしょうか。
肩の力を抜いて、次の3択問題に答えてみてください。
世襲貴族にして伯爵、法官にして、アジア人の国における君主の御領地の管理官、
まことの王の知人、かれ(=王)に愛されたるもの、従者シヌヘは(次のように)語った。
本書は、高校生に経済学の初歩を学んでもらうための入門書です。
いまあなたがこの本を手にしている理由は何でしょう?
「神経が参っている」「つらくて耐えられない」「医者に神経症だと言われた」
「心の病に苦しむ家族を助けたい」……もし、そのような理由だとしたら、
この本はきっと役に立つと思います。
◆子供のころいちばん悲しかったことはなんですか
あなたは、ソーシャルワーカーという職業をご存知ですか。
名前ぐらいは知っているよという方、どんなイメージをお持ちでしょうか。
私は、学校が嫌いだった。
このレター教室は、すこし風変わりな形式をとります。
ぼくの悪い癖は、〈童話とはなにか〉というふうに最初にいわないと気がすまないところに
あるようで、今日もまず〈童話〉そのものから入っていきたいと思います。
つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。
私が妖怪の絵やマンガをかくようになったのは、子どものときに、
近所に、“のんのんばあ”というおばあさんがいたからです。
「ここって、仕事帰りのおじさんがふらっと寄っていきたくなるような
居酒屋みたいなところですねー」立花さんは、部活動を終えて玄関へ向かう途中、
図書館のドアを少し開けて顔をのぞかせます。
短大の諸君を教えはじめて十年ちかくになりますが、
いろいろとびっくりするような経験をすることがあります。
石とはなんだろうか。路傍の、あるいは河原の、とりたてて特徴もない硬い灰色の塊、
また、ある人にとってはルビーやダイヤといった美しい宝石類、建築や内装の仕事をしている
人にとっては大理石や御影石、造園業者にとっては庭石だろうか。
カイバル峠の国境はうそのようにぬけた。
自治区の民兵もパキスタンの警察も、手をふって見送るだけであった。
「世界一有名な囚人」。ネルソン・マンデラを人々はそう呼びました。
事物に歴史を語らせることが博物館の目的である。
笑いは何を意味しているのか。笑えるものの根底には何があるのか。
本書では、「社会」に向き合うときにみなさんに知っていてほしいことを書きました。
坂本龍馬は維新史の奇蹟、といわれる。
私は一九七八年に大学を卒業して労働省(現・厚生労働省)に入省し、
二〇一五年に退職するまで三七年半、公務員として働いてきました。
誰もが小津を知っている。ある種の振舞い、ある種の言葉遣い、ある種の視線に接して、
人は思わず小津的だとつぶやく。
モヨ子とか、モヤ子とか、よくまちがわれるのだが、坂井モエ子が本名である。
当人も、その名を好いてる。モエは“燃え”に通じるからだろう。
「気づき」は非常によく使われる言葉です。誰もが一日に何度も何度も口にし、
誰もが何度も何度も耳にしているのではないでしょうか。
この一巻に集めた小さな物語は、依嘱を受けて書いたものばかりである。
初めの話は一九二四年に書かれ、最後のものはたぶん一九二九年に書いたと思う。
かつて山口大学で教えていた頃、同僚たち(上野修・哲学、石川巧・日本近代文学、正宗聡・英文学、
川崎勝・科学史)といっしょに、「大学入試の問題をそれぞれの専門分野の視点から検討する」
というプロジェクトをやっていた。
昔(三十年ぐらい前)、夫と私と小さかった娘が、夫の実家である目黒の寺で暮らしていた時分、
会津から奉公にきたヤエちゃんという女中がいた。
これは、ある一人の女性の生涯の物語だ。その女性は、料理がとてもうまい人だった。
簡単に言って、料理とは単に舌先だけで味わうものではなく、また弄ぶものでもない。
二〇一六年の一月に『「全世界史」講義Ⅰ、Ⅱ』(新潮社)を刊行したところ、
読者の皆さんから「もっと詳しい世界史が読みたい」という趣旨の感想が多々寄せられました。
多くの人にとってことばは空気のような存在ではないでしょうか。
空気のように大切。でも、空気のように当たり前。
『旧約聖書』というと、どんなことを想像しますか。
キリスト教の本、というイメージをもつ人がすくなくないと思います。
中産階級の子どもたちは、総じて、その階級にふさわしい職業を獲得する。
長年私が関心を持ってきたのは、
人々がどう独裁主義を防ぎ、打倒することができるかである。
もう何年前になるか思い出せぬが日は覚えている。
暮もおし詰った二十六日の晩、妻は下女を連れて下谷摩利支天の縁日へ出掛けた。
深夜ラジオを聴き始めた時、誰もがまず気になるのは、
パーソナリティの喋りと一緒に聴こえてくる知らない人間の笑い声だ。
本書はこの私が、数多くの著作や箴言集から
さまざまの思想を収録したものである。
なにか見えたような気がして一年一組一番が植え込みに近づくと、
そこには白くて丸いものがあった。
天正十年(一五八二)六月二日、
織田信長は明智光秀の急襲により、自害に追い込まれた。
私が他の仕事に追われながらも本書を完成することができたのは、
次の人びとの協力のおかげである。
人は誰しも齢をとります。
ルイ・ナポレオンとアルミのスプーン
軽く、(鉄のように)錆びることがなく、しかも安い金属、アルミ。
はじめに言っておきますが、大学教授を志すならともかく、
歴史を学んだところでたいして役にはたちません。
……羽仁男は、目をさまして、まわりがひどく明るいので、天国にいるのかと思った。
学問をする人を学者とか研究者とか呼びますが、
研究者には研究と教育、というふたつの現場があります。
一日一題禿筆を呵し、百日百題凡書成る、
書成って再閲又三閲、瓦礫の文章菲才を恥ず。
私は道に迷ってしまった。
すでに夕闇が迫り、何時間も車を走らせてきたためにガソリンは実質的に底をついていた。
きみはかわいいだけだ。
凡庸で貧弱な精神、友達だけが社会で、ぼくらのことを光のかたまりぐらいにしか見ていない。
青年期になると、自我が目覚めるとともに、
さみしさを感じるようになると言われる。
私がずっと若かったころ、五十歳になればわかるようになるよと言われた。
私は今五十歳だ。なんにもわかっていない。
数年前、久方ぶりに本郷のキャンパスに戻ってきたぼくは、
気持ちだけはすっかりあのころに戻っていた。
芸能人の母親の「不正受給」報道以来、生活保護制度への
「バッシング」が高まっている。
私は今までに古典の現代語訳とか、
翻訳から離れた現代化ということをいくつかやってきました。
この本の目的は、介護の面白さを伝えることにあります。
絵巻物の生命は、ふつう、室町時代に終焉をとげたとされる。
近世に入ってからの絵巻は、もはや芸術的に見てとるに足らない、
形式的なものになり下がったというわけである。
ここに現代語訳した『福翁自伝』は、
近代日本最大の啓蒙思想家福澤諭吉の自伝です。
ロワール県の革命的サンディカリストの小グループが、
一九三二年、シモーヌ・ヴェイユという人を知るようになったことは、
なんら偶然の出来事ではない。
九歳の子から六十九歳のおばあさんまで、
六十人余りの女性がみずからの物語を語ってくれました。
『算法少女』――これは、わたしがつけた題ではありません。
いまから二百年ほどむかし、じっさいに江戸で出版された算法(数学)の本の題なのです。
最初に、「社会契約論」とはどんな思想なのか、その特徴を説明しておこう。
それはどんな問いを立て、どんな答えを与えようとしたのだろうか。
寺田ヒロオは、戦後マンガ史に特異な足跡をしるしたマンガ家である。
『日本思想史の名著30』という題名は、ちくま新書から出ている一連の書目にあわせたもので、
「名著」の命名にも30という数にも、特に意味はない。
その日の朝、ママが水着を着せてくれた。
水着にはアニメの小鳥の絵が付いている。
「まあ、トゥイーティーちゃんみたい」ママがいった。
私は自分の勤務する一橋大学で約二十年間にわたって
「法哲学」と「法言語基礎論」という講義を担当してきましたが、
後者の講義の内容も多くは法哲学の分野に属するものでした。
こんにちは。私は大学で倫理学を教えています。
おもに医療者を目指す学生さんたちを相手に、生命倫理学の講義をしています。
会社に出勤するため、いつも通りJRに乗って日経新聞をひらいた。
一、本書は関東大震災の直後に起きた、いわゆる朝鮮人虐殺事件について、
様々な文章に残された記述を集めたものです。
あなたはこの世でくつろいだことがない。
あなたはいまだかつて、《ここ》にいたことがない。
いつもどこか《よそ》にいる。
本書は、シーボルトの『日本植物誌』に掲載された植物画151図版をすべて縮小収録した、
一種の復刻本であるが、各図版毎に、描かれた植物の特徴や分布、図化の経緯など、
関連する事項について新たに記述を加えた。
本書は、1997年に刊行された『横井軍平ゲーム館』を文庫化したものである。
横井軍平氏は、元任天堂の開発部長で、数々の名作玩具を世に送りだしてきた。
「個性の時代」と言われます。
「個性的であれ」と言われます。
「個性を活かせ」、「個性を磨け」と言われます。
およそ歴史上に名を残した著名人の中で、徳川慶喜ほど特異な経歴の持ち主はそうはいない。
前半生と後半生が、極端に異なるのである。
この『猫語の教科書』の原稿は、世にもめずらしい方法で届けられた。
JR線上野駅の浅草口を出て前方を見渡せば、だれでもまず正面に架かった首都高速1号線と、
その真下の昭和通りに面して軒を並べる銀行や証券会社が目に入ることだろう。
まず、この本を手にとってくれたことに感謝したい。
たくさんある本のなかで、この本をふと手にとり、ページをめくってもらった。
「鮨は江戸に限る。しかも安い!」(『江戸自慢』)
幕末の江戸を生きたある医師は、このような言葉を残しています。
ある日、末っ子がたばこをすっているのを見かけて、
私は、「未成年のくせにたばこをのむやつがあるか」と叱った。
「だが見渡してみると、(中略)一冊の本の価値は軽くなっている。
昨夜出発の前の僅かな時間に、
Z君の所でアジャンター壁画の模写を見せてもらった。
あれは四月の午後だった。
春雨というにはちょっと激しすぎる雨が少し前から降りだして、
ガラス窓の向こうの街は急に紗をかけたように白っぽくなった。
和菓子は、私たちの日常のなかに、
思ったより大きな場所を占めているようです。
生きにくい世の中だと、多くの人が言う。
一九六五年に中学卒業と同時に集団就職で上京、さまざまな職を転々としたあげく、
一九六八年秋に連続射殺事件を引き起こし、一九九七年に死刑が執行された永山則夫は、
獄中で膨大な数の文学書や思想書を読破し、多数の著作を世に送った。
社会に船出する前の若者にとって大切なこととはなんだろう。
日本はいい国だ。海外から日本を訪れる友人たちは、
みな口を揃えて素晴らしい国だと褒めてくれる。
俺はオフィスにいた。
オフィスの契約期限はもう切れていて、マッケルヴィーは追い立ての手続きをはじめていた。
東日本大震災・福島第一原発事故の発生から二年近くが過ぎた。
「何もここ(沿岸部)で都会のような立派な暮らしを望んでいるのではない。
普通にささやかながらも暮らしていくことができるように希望しているんです。
ただそれだけなのに」
はじめにチヨコちゃんのことを語りたい。
チヨコちゃんは、いま、新潟県の心身障害児の療育施設にいる小学校六年生である。
が、ちょっと見たところ三年生くらいにしか見えない。
この本は実存主義的心理学と実存主義的精神医学に関する叢書の一冊目であり、
その叢書において、多くの著者たちが、この分野に貢献する独創的な発表をすることになっている。
「身の上相談」といえば、雑誌、ラジオ、テレビの定番メニュー。
近頃ではそのパロディまで登場して、相談する人もされる人も余裕で楽しんでいる感がある。
今日は「日本的なものとはなにか」という表題を、
勝手につけさせていただきました。
現代版のオリジン・ストーリー(万物の起源の物語)という発想が関心を集めている。
この本は、メディアとヒトとの古くて新しい関係について説いた本です。
一九九五年三月二〇日、朝。
東京という都会の、からだに染みついた当たり前なのどかさが、
ほつれたセーターのようにそのまま全部ほどけてしまうかもしれない――。
誰にとってもそんな異様な喪失感を覚えた朝だったに違いない。
しげちゃんにさいごに会ったのは、
一九五一年に私が女子大を卒業して三十五年もたってからで、
場所は調布のカルメル会修道院の面会室だった。
『海のトリトン』というアニメを知ってますか?
辞書には,たとえば
レポート《名》①研究・調査などの報告書. ②学生が提出する研究結果の小論文.
③新聞,雑誌などの報告記事.=リポート.▷英 reportとある.
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
「お前つまんねーよ、ふざけるな。このカス」
こう、真顔で怒られる仕事があります。テレビを作るディレクターです。
私の住んでいる京都市右京区山越というところは、
京都とはいえ市街地の西の端に近いところです。
家は広沢池のすぐ前。
ざわざわしている。まわりがよく見えない。
でも、まわりにたくさん、いる。なにかいる。とても、いる。ざわざわしている。
JR両国駅のプラットホームから北をみれば、国技館の緑の大屋根が眼のまえです。
右隣りに、四本脚の白い建物。巨大な机に白い箱を山ほど積みあげたような。
どんな人間の中にも、感覚的世界を超えて、
より高次の諸世界にまで認識を拡げることのできる能力が微睡んでいる。
東京を訪れる外国人に、私はいつもつぎのように説明せざるをえない。
「東京は世界の首都のなかでも異例な都市だ。
「幸福(ハピネス)」という言葉は皮肉に満ちている。
元々は「偶然」とか「起こる」などを語源とし、新しさ、素晴らしさ、
思いがけないチャンスへの感謝などの様々な意味がある。
日本はもちろん世界中で城跡は多くの人に愛されている
特別な遺跡といってよいでしょう。
「戦後の少年非行の増加は、ハンバーガーの消費量および体格とともに増加している。
従って……」一九八〇年代後半の犯罪社会学会で発表を聞いていた私は、図Aのようなグラフを
見せられて少々驚いておりました(ただし、目盛りやカーブは厳密ではありません)。
心臓とか肝臓を移植出来たりロケットが宇宙で新しいことをしたり独裁者が倒されたりする
と、人類は輝かしい力に溢れているようなことを新聞やTVはいうけれど、
無論それはジャーナリズムの誇張で、人間は無力である。
主君が複数いても、なにもよいことはない。
頭でも王でも、たったひとりが望ましい。
と、ホメロスの作中のオデュッセウスは言い放った。彼が、主君が複数いても、
なにもよいことはない。としか言わなかったとすれば、至言となったことだろう。
現代思想は、存在するものを、それをあらわす現われの連鎖に、
還元することによって、いちじるしい進歩をとげた。
私には少年の頃から自分の家も家庭もない。
学校の休暇に郷国へ帰省した時は親戚に寄食する。多くの縁者の家から家へ渡り歩く。
ファッションは「わたしはだれ?」という問いと戯れている。
ファッションはからだの観念を揺さぶり、性のイメージをずらせ、品位とか優美とか情愛の
きめを作りだし、欲望のかたちを象り、最後に、あらゆる包囲をすり抜ける抵抗のスタイルを
決める。
最近では、昭和の時代、とくに高度経済成長がはじまった
昭和三〇年代のことがブームになっている。
野々宮家には、一男三女があった。
即ち、上から、桃子、梨子、杏子、そして、楢雄である。
ついでながら、父親は、林太郎、母親は、杉子。
現在、あなたはどの程度幸せですか。
「とても幸せ」を一〇点、「とても不幸せ」を〇点とすると、
何点くらいになると思いますか。
三年ほど前、ふとしたきっかけから数学者を主人公にした小説を書こうと思い立った。
序詞役 いずれ劣らぬふたつの名家
花の都のヴェローナに
新たに噴き出すいにしえの遺恨
人々の手を血で汚す。
心理学という部屋の掃除をしたくなった。
とにかくガラクタが多すぎる。これらをまずは処分することにしよう。
わたしはある部屋に入ったところである。入った瞬間に潮の匂いを感じる。
それは開け放たれた窓から吹きこんでくる風が運んでくるものだ。
人生には二度の危機が訪れると言われています。
ここでいう危機とは「精神的に危うい時期」のことです。
哲学は、人間が言葉を用いてこの世界でより善く生きる普遍的な営みであるが、とりわけ西洋で
展開された「フィロソフィー philosophy」は、今日では人生の指針、および学問の基礎として、
日本を含む世界各国で学ばれ研究されている。
1.「二人の人物」〈1953, 152.5×116.5cm〉
語の意味とは何か。
この問題に迫るためにまず、語の意味の説明とは何であるか、
語の意味の説明とはどのようなものかを問うてみよう。
蒼褪めたる
馬あり
それに乗る
者の名を
死という……
ぼくはこんどヨーロッパへ旅行することになったので、そのわけはというと、
ずっと前に八幡学園をとびだしてから、あっちこっちを歩きまわって、
二十なん年のあいだに日本のくにの五分の一くらいを見物してまわった。
スズメの成鳥。喉と頬の黒は成鳥の特長。
頭には茶色の帽子をかぶっている。背中の配色はかなり複雑。
足は褐色で、指の数は、前に3本、後ろに1本。
室町時代に、仮想現実(バーチャルリアリティ)空間を作った人がいた。
まさかと思うが、本当だ。その仮想現実の名残を、かなりの確率であなたは見たことがある。
金閣寺である。
はじめにおことわりしておかなければならないのですが、
「諸国空想料理店KuuKuu」というお店は、今はもうありません。
世界はどんなふうに動いているのか、いまはどんな時代なのか、自分とはいったい何者なのか、
自分はどんな可能性をもっているのか、そもそも自分は何をしたいのか。
紅一点。正確には、萬緑叢中紅一点。
語源は、北宋時代の政治家で、詩人でもあった王安石という人の詩の一節だそうである。
はぁーなるほどなーと声が漏れた。
章タイトル「病気と平気の線引きはどこ?」をはじめて目にしたときの感想である。
これは一筋縄ではいかないぞ、と思った。
私は吸収する
分裂し、繁殖する
そして、いつか
一つのチャンネルになるだろう
中東は難しい。そう感じている人は、少なくないであろう。
戦争や内戦が絶えず、民族や宗教の問題が複雑に絡み合っている。
「承認」と「コミュニケーション」。
最近、この二つの問題について考えることが多くなった。
三時間とちょっとのフライトで、フランスのパリから
大都市イスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)に到着します。
九月のアイオワ・シティの朝はかなり冷えこむ。
ホテルの外に出れば、湯気の立つスターバックスのコーヒーを片手に、
背中をちぢめてマイクロバスの到着を待つ作家たちの姿がちらほらとあった。
今から2400年ほど前,ひとりのギリシャ人が海辺に立ち,水平線に消えゆく船を見つめていた.
アリストテレスという名のその男は,何隻もの船が行き交うのを静かに観察しながら長い時を
過ごしたにちがいない.
「さまざまな偉大な社会運動への参加者は、
その主義主張の勝利を確実にする闘争というイメージで自らの将来の行動を思い描いている。
妊娠5週目
夕方の野菜はいかにもみずみずしく、
水菜の葉先にみなぎる勢いまで夜のそれとはまるで違っていた。
人々も今から食材を持ち帰って料理をし、
腹に納めてやるのだという旺盛な気概に満ちている。
枇杷を食べていたら、やってきた夫が向い合わせに坐り、俺にもくれ、とめずらしく言いました。
肉が好きで、果物などを自分から食べたがらない人です。
生きるうえで一番大切なものは何だろう。
そう問われて、「食べること」と答える人はいても、「ウンコをすること」と答える人は少ない。
この文学館には、読んだ人の心にトラウマとなって残ってしまい、
いまだに噂される、そういう物語ばかりが集めてあります。
「マリリン・モンローなら知ってるよ。可愛いよね! 映画は見たことないけど」
「原節子? ……あ、知ってる、昔の女優さんでしょ。きれいだよね!」
『信長公記』は、織田信長の家臣で、のちに秀吉に仕えた太田和泉守牛一が、
その体験を通じてつぶさに書き記した大著で、信長の伝記として最も信頼度の高い資料である。
目の前にあるものを言葉で写しとりなさい。そうすれば誰でも俳句ができる。
俳句をはじめる人はこれまでそう教えられてきた。いわゆる写生である。
しかし一年もすれば、目の前にあるものを言葉で写すだけではロクな俳句ができないことに誰でも気づく。
我々は庭、公園、並木道、森などの自然環境の中で生活している。
時おり目につくのはクモの巣や、糸にぶら下がっている毛虫などであるが、
郊外を歩いていても余程注意していないと糸を出す虫に出くわすのはまれである。
動物に鏡を見せると、その反応はさまざまである。
鏡にうつっているのは実物ではないのに、そのことが、全然わからないらしいのもいる。たとえばインコがそうだ。
ヴェルギナ。
ギリシア北部の緑豊かなピエリア山脈の山裾にあるその小さな村は、古代マケドニア史研究の、まさしく「聖地」です。
その街区は都会の中の引き出しの奥のようなところにありました。
満州事変から日中戦争を経て太平洋戦争へと続く十五年の戦いの末に、
日本が降伏した一九四五年から五年後、貧困と混乱が日本社会を覆うなか
茨木のり子の詩作は始まった。自分を「フランス人」だと感じますか?それとも「レバノン人」だと感じますか?
一九七六年にレバノンを離れてフランスに住むようになって以来、まったく他意はないと思うのですが幾度となく訊かれてきました。
「彗星菓子手製所」という名前は旅先からの帰りのローカル線の中で生まれた。
図書館。誰もが知ってる未知の国。
窓の外が
すっかり暗く
なるまで
暗い画面に
文字を打つ
だけの
簡単なお仕事です
本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである、
せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。
短歌を作るのは楽しいけど、うまくいかないと苦しい。
短歌を読むのは楽しいけど、慣れないと難しい。無条件に楽しいのは短歌について話すこと。
私は、クマを自分の師匠だと本気で思っています。
障害者差別」という言葉から、どのような事柄を思い浮かべるでしょうか。
「障害者差別」という言葉に、どのようなイメージを持っているでしょうか。
北アメリカの黒人女性からの聞き書きをはじめたのは、およそ六年前のことになる。
一九七一年五月のある日、私は西ドイツのゲッチンゲン市にある州立文書館の一室で
一四、五世紀の古文書、古写本の分析に没頭していた。
なぜニーチェは現代思想において、近代最大の思想家と見なされるにいたったか。
まずこのことについてわたしの考えを述べてみよう。
歴史の教科書はおもしろいですか?あるいは、おもしろかったですか?
民主主義への不信が募っている。
本書の表題を見て、人間を含む天地万物に終わりが迫っているのではないかという
漠然とした不安のことか、と思う人が少なくないであろう。
心の哲学にかんする最新の入門書はごまんとある。
程度の差こそあれ、現代の主要な見解や議論を目配せよく概観したものもある。
サー・アーサー・コナン・ドイルが創造したシャーロック・ホームズという探偵の物語は
世界的に有名になり、今では推理小説の中の人物というだけでなく、
探偵、私立探偵、非凡な推理力を持つ人、という意味の普通名詞にもなっている。
死刑について考えることは、ある重苦しさをともなう。なぜだろうか。
それは、死刑そのものが人の命を奪う刑罰だからである。
名前をあかしても、私たちのものがたりの女主人を知っている人は、そう多くないであろう。
私たちのものがたりの女主人は、この世の中で知己に乏しく、
そしていろんな意味で儚い生きものであった。
江戸時代の古文書をみると、様々な人名が目に飛び込んでくる。
喜三郎、源蔵、庄助、文吉、新之丞……。
ぼくにとっては「多読」と「少読」はつながっています。本質は同じです。
少読がしだいに多読になるわけではなく、多読によって少読がより深まる
ということもありうるわけで、そこが読書のおもしろいところだと思いますね。
長調および短調の調性は、J・S・バッハ(一六八五〜一七五〇)において初めて厳格な意味での
成立を見、J・P・ラモー(一六八三〜一七六四)によって理論的に体系づけられたものであった。
現在の日本の天皇は、初代神武から数えて一二六代目とされる。
そのなかで女帝(女性の大王/天皇)は、古代に推古・皇極=斉明・持統・元明・元正・孝謙=称徳の
八代六人、近世に明正・後桜町の二人で、計一〇代八人である。
「若い時にもっと勉強しておけばよかった」
「せめて二〇代のうちに、英語をやり直しておけば……」
「いま高校生にもどれたら……」
江戸に「きんからかわ」というものがあって、世界をめぐりめぐったすえ、
刀がなくなって腰のあたりがすーすーする明治の男たちの腰を飾った。
一四九二年、コロンブスは、スペイン王国の代理として新世界を発見した。植民地領有をめぐる
苛烈な国際的抗争の下地は、このとき、コロンブスの手により整えられたのである。
今、「世界哲学」が一つの大きなうねりとなっている。これまで西洋、つまりヨーロッパと
北アメリカ中心に展開されてきた「哲学」という営みを根本から組み変え、
より普遍的で多元的な哲学の営みを創出する運動、それが「世界哲学」と呼ばれる。
子ねこは、たいへん好奇心の強い動物です。このことは、
ねこを子どものときから飼った経験のある人なら、だれでも知っていることだと思います。
カーテンの隙間からさしこむ陽の光で、ぼくは目覚めた。
きょうは夏休みの最初の日だ。ぼくにとって、夏休みの最大の楽しみといえば、なんといっても、
思うぞんぶん朝寝坊ができることだ。
公園の南のはずれに、このところようやく成木の風格をそなえて来た公孫樹があり、
根元を囲んで円型にベンチが配列されている。
「色」という現象は、とても不思議だ。
近代科学の父、アイザック・ニュートンが「光そのものには色はついていない」(『光学』、1704年)と
看破した通り、色は自然界にあるものではなく、ヒトの感覚器の「仕様」によって
脳内で塗り分けられてそのように見えている。
暗闇には混沌とした怖さがある。闇の中に何かがうごめいているにせよ、
逆に全くの無であるにせよ、人間は見えないことや分からないことに対して
本能的な恐怖を感じるものだ。
なにかあたらしいノートブックを買ってきてボツボツこの仕事をはじめよう。あたらしい仕事に
取りかかるときは机のうえに置いたノートブックがいいやつでないと感じがでない。
乱歩ミステリーは、大きく見れば、三つの時期、三種のミステリーに分類できるが、
一般的には乱歩というと、初期の本格ミステリーと晩期の少年探偵団ものばかりが注目されて、
中期の通俗長編はともすれば軽視されがちであった。
人生どう生きるべきか――なんて言えば、少々深刻な感じもしますが、そこまでではないにせよ、
日々の暮らしのなかでまったく悩みがないという人も珍しいと思います。
あまりにもあっけなさすぎて、いまだに信じられない。
今にも耳元で「よぉっ!」という、あの愛すべき大きなしゃがれ声が聞こえてきそうな気がする。
ここ数年、豪雨の災害が続いています。小さな川(中小河川)の氾濫だけではなく、
鬼怒川、球磨川、最上川など、大きな一級河川が氾濫し、多大な被害が広がっています。
「リーダーシップ」という言葉を聞いたとき、
みなさんの頭の中にはどのようなイメージが浮かびますか?
一九四二年三月の時点では、ホロコーストの全犠牲者のうち、
まだ約七五―八〇パーセントの人びとが生存していた。
今の時代ほど、人間が情報に振り回され、情報が人の心を蝕んでいる時代はないように思う。
一九四五年(昭和二十年)八月六日早朝、テニアン基地を発進した先発の
アメリカ軍気象観測機一機は高度一万メートルで広島市に接近し、
後続の原爆搭載機B29エノラ・ゲイ号にむけ、晴天で攻撃可能の旨を打電した。
まずはじめに、ひとつの仮説を提出しておきたい。
夫申楽延年の事態、其源を尋ぬるに、或は仏在所より起こり、或は神代より伝はるといへども、
時移り代隔たりぬれば、其風を学ぶ力及びがたし。
私の父は信州松代の旧藩士の一人でありまして、横田数馬と申しました。
明治六年頃は松代の区長を致して居りました。
贈答とは単なるモノのやりとりではない。特定の機会に贈りものをやりとりする儀礼的行為である。
毎年、中元や歳暮の季節が訪れると、贈答品が全国各地を頻繁に行き来する。
第二次世界大戦(日本にとってはアジア太平洋戦争)において、日本人の戦没者数は三一〇万人、
その中で軍人軍属の死者数は二三〇万人とされている。
エロ漫画というジャンルには意外と知られていない事実がある。
大学三年(一九六八年)の秋に、大学紛争の影響で授業が止まった。
翌年の初めに東大安田講堂事件が起こり、その年の夏には紛争校を強権的に規制できる
「大学の運営に関する臨時措置法案」(いわゆる大学立法)が強行採決された。
私は加害者になりたくない。加害者から傷つけられたくない。
誰もがきっとそう思うだろう。加害者とはそのような忌み嫌われることばとして使われてきた。
暗く、悪のにおいに満ち、否定されるべき存在として。
家の中ではTシャツ、外出するときはエリのあるシャツという「TPO」は、
いつごろまで常識だったのだろうか。
もう国語の授業から離れてしまった人のために、
つまり子どもたちのためではなく大人たちのために、国語の授業をしよう。
「できるだけたくさんのメキシコ人を撃ちたかった」――。
二〇一九年八月三日、米南部国境に近いテキサス州エルパソのウォルマートで、
メキシコ系移民を狙って銃乱射事件を引き起こした犯人は警察にそう語ったという。
煙たい味のする雨が下唇に落ちて、わたしは舌うちをした。
傘を持っていないし雨合羽も着ていない。
普段、ぼくは「ノンフィクションライター」や「ノンフィクション作家」と呼ばれる仕事をしている。